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リハーサル前、かわいいアルファベットに癒される |
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Photo by Rain Michiyama |
1. 短歌連作 花かんむりになれなかった花たちのために
2. 卵を焼くことについての4つのエピソード(*)
3. きりんの卵
4. 海のエスキース(*)
5. 石畳と秋の蝶
6. 俳句連作 角度を悩む冬帽子
7. 早春の広場
8. ヘイズバラの海岸にて
9. ハクモクレン抒情(*)
10.本を冷蔵庫に入れた話(*)
(*)はオンビートのリーディング
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私の手許(足許?)に残った短歌と俳句たち |
千葉詩亭は、ことし2017年で8年目を迎える定期開催のオープンマイクです。都内のライブハウスで行われるオープンマイクとは一味ちがった雰囲気がとても好きです。穏やかな空気感ながら、妥協したり慣れあったりしない場でもあります。
共同主催・大島さんによる当日のレポートはこちら。ありがとうございます。
リーディングの時間が3分だろうと30分だろうと、オープンマイクだろうとゲストパフォーマンスだろうと、マイクの前に立つと膝ががくがくするのは未だに変わりません。それは緊張ばかりではなく、「こうまでして私が伝えたいことって一体なんなんだ?」という問いに常にさらされているからなんじゃないかと、最近思います。
上のリンク先のレポートで大島さんがこう書いています。
ポエトリーリーディングというのはシンプルな表現形態ではありますが、同時に恐ろしいものでもあります。当たり前のことですが、マイクの前に立つということは、これすなわちその人そのものが、一人ひとりの受け手の心という、パフォーマーの側からは垣間見ることのできないブラックボックスを通して「見られ」「判断される」ということですわたしには、語りたがり・目立ちたがりな部分は多分にあると自覚しています。
人前でリーディングをすることは、その欲求に応えてくれるものではあるけれど、それ以上にある種の「怖さ」のほうがまさって感じられることのほうが、もしかしたら最近は多くなってきたかもしれません。それは、舞台上でテキストが飛んでも誰も助けてくれない、ということ以上に深くにある怖さです。
「どんな時(季節、時間帯、同時代の社会情勢も含む)」「どんな場所で(地域・会場の空間)」「どんな人たちの見ている前で(どんな背景や考え方をもった人がいるか)」、わたしが「どんな詩」を読むか――自分で書いた詩を読むにせよ、他の人が書いた詩を読むにせよ、リーディングという営為自体まるごとが、わたしの価値観や倫理観を、受け手の心を通じてさらけ出すことになると思うのです。もはや、「作者本人の内面とテキストはすっぱり切り分けて考えましょう」とばかり言ってもいられない。パフォーマーと受け手の身体が同じ時間と場を共有しているかぎりは、なにか逃れがたい力がはたらいているような気がします。
千葉詩亭限定ブックレット「ポエトリーのおもちかえり」 |
しばらく答えは出そうもないので、いったん「そうまでして伝えたいことは確かにあるんだ」と認めることにしてみました。そして、認めるからには今のわたしがもっている言葉やイメージ、まだうまく名前のついていない気持ちをなるたけ全部、詰め込んでやってみようと思ったわけです。
そのうえで、わたしのやりかたで誰かの心をゆさぶる可能性があるのだ、という感覚をつかめたのは、素直に、うれしいことでした。
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by Kuriko Maeki |
ありがとうございました。今後も精進してまいります。
千葉詩亭アフターアワーにて
わたし「30分間リーディングしただけでくたくたです……1時間とか2時間とかやれる人すごい……」
URAOCBさん・あしゅりんさん「ここに24時間朗読ライブをした人がいるよ」
わたし「うわあああああああ」
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終演後にいただきました。「牛肉と豆腐の玉締め丼」。ここにも卵。 |
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