明治大正演歌×詩人とDJ?演歌師・添田唖蝉坊の世界を現代に蘇らせるライブを阿佐ヶ谷で

4か月もの間、ブログを放置していたらあれよあれよという間にアクセスが減っておりましたが、閑古鳥の皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。台風一過の青空の下、道に散り敷いた金木犀の甘い残り香に涙し、また別の道に散らばったあまたのギンナンの強烈な臭いに鼻を曲げつつお送りします。

さて。来る10月8日(月・祝)、いつもこうやって週末に迫ってから焦って告知をするからいけないのですが、スポークンワーズの先輩・猫道さんにお誘いいただき、阿佐ヶ谷よるのひるねで開催されるイベントに出演することになりました。その名も、演歌の猫道

演歌……?

どこにスポークンワーズの要素があるの?と首をかしげられるのも無理はありません。演歌、と聞けば、今でこそ、美しい着物やパリッとしたスーツをまとった歌手たちが見事に歌い上げる歌唱ジャンルです。
しかし、そのルーツは、明治維新期の自由民権運動にまでさかのぼるといわれています。
いちおう私は日本史をやっているので、『国史大辞典』(吉川弘文館)をのぞいてみました。ちょっと長いですが引用します。
艷歌とも書く。明治二十年(一八八七)ごろから自由民権運動の壮士が、政治や時事を街頭で歌をうたって批判し、このものを演歌壮士と呼んだ。演説代りに演歌できかせ、演歌の新造語ができた。草分け時代の演歌「ダイナマイト節」「改良節」「オッペケペ節」などは楽器を用いず素朴なものであった。この時期中央に久田鬼石・殿江酔郷・添田唖蝉坊らの青年倶楽部がつくられて演歌はひろまったが、これは伊藤仁太郎(痴遊)・奥宮健之の政治講談、角藤(すどう)定憲・川上音二郎らの壮士演劇とも相応ずるものであった。政府の民権運動弾圧が演歌を生んだものだけに、議会開設後における演歌は皮肉と諷刺に変わり、日清戦争時代には戦争一色の演歌となった。日露戦争後は壮士から書生の時代となり、演歌は苦学書生のアルバイトとされ、書生節とも呼ばれ、専業の演歌師もでき、唄本を売るのみでなく、四十二、三年ごろからバイオリンを弾いて飲み屋を流すようになった。大正期の演歌に「カチューシャの唄」「ノンキ節」「まっくろけ節」「船頭小唄」「復興節」「ストトン節」などがあり、一層と大道芸能化し、演歌師を艷歌師と当字(あてじ)して呼ぶようになった。昭和期に入り、ラジオの普及、歌謡曲レコードの流行となって演歌時代は終った。[参考文献]添田知道『演歌の明治大正史』(『岩波新書』青五〇一)(秋庭 太郎)
引用元情報: "えんか【演歌】", 国史大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2018-10-01) 


ダイナマイトどん!!

ま、ダイナマイトを落とすとまではいかなくても、リリックで誰かに何かを伝えて、なにか新しい価値を生み出したい!人の心をちょっと動かしたい!なんなら世の中を変えてみたい!という志が明治大正演歌にもある以上、これも立派なスポークンワーズの一つといえるでしょう。

そんな明治大正演歌を代表する演歌師の一人に、添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)がいました。フライヤーに顔写真が載っている人ですね。どんな人なのか? どんな演歌を作ったのか? 詳しく知りたい方は当日の猫道さんのレクチャーを待つことにしましょう。

というわけで、このたび、添田唖蝉坊の演歌をカバーするという使命をおおせつかったわけなのです。去年2017年9月から活動を始め、ゆるゆるとライブをしたり休んだりしていた詩人とDJのユニット・9Hz研究所が、明治大正演歌をやってみるとどうなるのか?
いかつい骸骨マスクのDJ・000と一緒に、おもしろいライブをお届けできたらと思います。乞うご期待!

2018年10月8日(月・祝)演歌の猫道
@阿佐ヶ谷よるのひるね
開場18:30 開演19:00
木戸銭:【予約】1,500円+飲物代 【当日】1,800円+飲物代
出演:猫道(猫道一家)/9Hz研究所(廣川ちあき+000)/こまどり社員/こもりきひ

会場のよるのひるねはとっても小さなお店なので、事前に予約のご連絡をいただけるとうれしいです。ごはんも美味しいですので、ぜひ。

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